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《【考古学的資料】で解読する『秀眞伝』(文書)》…塾  の日記

【考古学的資料】で解読する『秀眞伝』文書 

2013.11.30

【加茂岩倉遺跡】の謎解きは『秀眞伝』文書で解明(自説)出来る!! 2013-11-28 21:00:54
テーマ:【考古学的資料】で解読する『秀眞伝』

  ヤの巻(一) 『秀眞伝』…【第三十五章・ヒボコキタル、スマイノアヤ】(日槍帰化・角力章)


… 『秀眞伝』第三十五章~第三十七章迄は、「第十一代イクメイリヒコ(諱・イソサチ/漢風諡号・垂仁)」時代の事が記述されている。然して、『現存・日本書 紀』に言う、垂仁天皇二年(辛未)の時としては、「任那のソナカシチ(蘇那渇叱智)が自国(此の時から任那国の歴史が始まる)に帰る」と記すが、『秀眞 伝』文書に因る「イクメイリヒコ(垂仁)2年」の出来事の内容は、「ミマナ(任那)の使いが「イクメイリヒコ(諱・イサチ)」の即位祝として来日したと記 す。つまり、『現存・日本書紀』(現在の国史大系書)以前の文書で在る処の【逸書・日本紀(ギ)】(養老四・720年に奏上された)の編纂者達は、其の編 纂過程に於いて、『秀眞伝』の内用を刪定(削除)、及び編輯し直して記述していた事が良く解る。つまり、『現存・日本書紀』に記す、此の、垂仁天皇の二 年の記述内容は、『秀眞伝』文書(原本的文書)に照らし合わせれば「ミマキイリヒコ(崇神)」御代「五十八年~六十二年迄」の記述内容、及び、其の後に 即位した「イクメイリヒコ(垂仁)」の即位を祝う為に来日したとして成す「ミマナ(任那)」の使いに関する記述内容が合わられて編輯されている事が良く解 ります。

…然るに、「ツノヒトツ・アルヒト(アラシト・カラ国の人)」が、日本国の媛、乃ち…「ヒメコソの社に祀られ【カミ(上)】と 成る」…其れ以前の事として『秀眞伝』に記載されている、其の媛の後を追って発来日した年は、「ミマキイリヒコ(崇神)御代の54年」に当る時と記されて いる。そして、其の年から五年間(ミマキの御代58年迄)、我が国に滞在し、「ミマキイリヒコ(崇神)」に尽くした事を以て、「アラシト(カラ国の王)」 の「カラ国」に対し、「ミマナ(任那)」(ミマキイリヒコの御名を語元と成す)と成す新たなる国称が与えられ、従って、其れ以後、此の国は「ミマナ(任 那)」と呼ばれる事(倭の五王…讃・珍・済・興・武の時代当時)と成る。

…而して、以前に於ける朝鮮半島での出来事(秀眞伝に記載在 り)としての説話で在るが、「秀眞国(日本)」の媛の後を追って、海を隔てた我が国に「ツノヒトツ・アルヒト(アラシト)」が初来日した本当の目的は、当 時、韓半島に於いて新羅からの圧力を受けていた事に関連する。つまり、「ツノガアラシト」の国は、我が国に援軍を求めて来たのであった事が『秀真伝』は記 載している。其れで、我が国から援軍(シオノリヒコ&マツノキミ等を頭とする)が派遣されたので在る。然る後、ミマナ(任那)の名を賜り、我が国を去る時 (崇神58年・立ち初め)に賜った【ミヤゲ(土産)】が、其の帰港の海路に於いて新羅に奪われたとして、又、「ミマナ(任那)」は訴え出た。然るに、此の 時から「ミマナ(任那)」と新羅とは仲が悪くなったとも『秀眞伝』は記している。

…従って、『現存・日本書紀』(国史大系書)の、此れ らの文書内用(垂仁天皇二年条も含)等は、『秀眞伝』文書内容が刪定(削除)、編輯された後に、更に書き替えられた内用(【紀(ギ)】→【書紀】書き替え られている)と成っている事、然りで在る。尚…《『現存・古事記』は歴史書では無く、参考文献外の扱いとする故、此処では『現存・古事記』説に関しては言 及致しません》…。

…此処の記述内容の「歴史的時代背景」を考察すれば…「ミマキイリヒコ(第十代目・崇神天皇)」…の御名を語 元と成す【ミマナ】(任那国)…の成立(起元)期が、【倭の五王…讃・珍・済・興・武】時代に重なっていると言う事で在る。つまり、『秀眞伝』文書は縄文 時代の文書では無く、西暦年で言えば、紀元後の出来事、乃ち、「A,D1~500年間期」頃に於ける我が日本国の聖書として書かれていたので在る。


… 新羅の王子とされる「アメ・ヒボコ」は、『秀眞伝』文書に因ると、「ミマキイリヒコ(瑞垣)」の三十九年に来朝し、「タジマ(但馬)」と「ハザマタニ(狭 間谷)」に住む事が許された。然るに此の出来事は、今に言う【ヒボコ(日槍)の帰化】のに当る話しで在ります。尚、此処の表題(ヒボコキタル・スマイノア ヤ)に言う「日槍帰化」と成す漢字表記方式は、『吾郷清彦全訳・秀真伝』に記載された漢字表記に基付いて、私は、其の儘に記載した次第です。尚、『秀眞 伝』に因る、其の次の「イクメイリヒコ(垂仁)」期の時として記されている「スマイノアヤ」に対する漢字表記、つまり、「角力」(吾郷清彦氏・訳)の語意 に付いて説明すれば、此の話しは、「角力(相撲)」の起元として現在に知られている物語の原典に当りますが、其の相撲(角力)の語元に付いて此処に記す事 と致します。

…勝負に勝った「ノミノスクネ(野見の宿禰)」に対し、負けた「タエマクエハヤ」の住まう土地(家・地域等)が褒美として 与えられたと成す意を以ての漢字表記であるが、要約すれば、現在に言う「スモウ(相撲)」の語元は、褒美として分け与えられた「人が住む家や土地」の語意 の意が語元で在ったと言う事に成る。つまり、【住まう】の意が【相撲(角力)】の語元で在る。因みに、「タエマクエハヤ」の対抗馬等的に「ナガオイチ」が 推薦したのが「ノミノスクネ(野見宿禰)」で在った。其の後、臣としての役職を得た「ノミノスクネ(野見宿禰)」は、「出雲・土師部」を引き連れ、殉死に 代わる【埴輪物体】を用いる案を提唱し、其れが認められて、以後、殉死の習慣が廃止されたので在る。

尚、「ミマキイリヒコ(崇神)」の時として『秀眞伝』文書が記す…「兄・出雲の神主フリネ」と、其の弟とされる「ヰイリネ(弟・イズモタケル」との物語は、【考古学的】に検証されねば成らない歴史的物語の一つで在る

…然るに、『現存・日本書紀』の【イズモタケルの話】(崇神六十年条)に関する歌等を此処に記せば…

や雲立つ 出雲梟師タケル ける太刀 葛篭ツヅラ多巻
 サワマキ) さ身無しに あはれ

ヤクモタツ、イヅモタケルガ、ハケルタチ、ツヅラサワマキ、サミ
ナシニ、アハレ)…「」(不完全詩

 『現存・日本書紀』の哥の疑問的訳を当て嵌めてる …「)」(サジニ)…


… 此の上記の文書内用の後の『現存・日本書紀』の記述では、「崇神天皇側から、即座に吉備津彦と武淳河別(タケヌカワワケ)とを遣わして出雲振根(イズモフ リネ)を殺した」と記載在り。故、「出雲臣らは、此の事を畏(カシコ)まって、暫くの間、大神を祭らなかった。此の時、丹波の氷上(兵庫県氷上郡氷上町) の人で、名は氷香戸辺(ヒカトベ)と言う者の自分の子供(小児)が、偶然、神がかりして申した事としては、皇太子(イクメイリヒコ)に、次のような事が申 し上げられたとしている…

「玉菨(モノ)鎮石。出雲人の祭る、眞種(マタネ)甘美鏡。押し羽振る 甘美御神 底寶御寶主(ソコ タカラミタカラヌシ)。山河の之水泳(ミククル)御魂(ミタマ)。静挂(シズカ)かる甘美御神、底寶御寶主(玉のような水草の中に沈んでいる石。出雲人の 祈り祭る、本物の見事な鏡。力強く活力を振う立派な御神、水底の寶、寶の主、山河の水の洗う御魂。沈んで掛かっている立派な御神の鏡、水底の寶、寶の主) 也。と言う事でこざいます。是非似小兒之言。若有託言乎。於是皇太子奏于天皇。則勅之使祭(これは小児の言葉としては似つかわしくありません。あるいは神 がついて言うのであるかもしれません)。と言った。そこで皇太子は、天皇に此の事を奏上した処、直ちに勅が発せられて大神を祭らせた」…等と『現存・日本 書紀』は此のように要約して記すが、然るに、此の部分の記述内容は…《謎の【加茂岩倉遺跡】(1996年10月14日に偶然発見された)》…の事が解明出 来る意味が含まれているので有ります。然るに…此の…《謎の【加茂岩倉遺跡】解読》…に関しての説明に付いては、後日と致します事、宜しく


…尚、上記の出来事に関する発端的物語を『秀眞伝』文書を以て記せば【下記】の哥の如くで有ります。而して、『現存・日本書紀』の哥(【上記】に記載有り)は、字余りと成り「不完全的定型詩」で記載されている。因みに、【和哥の定義】は、「基本31文字の厳守」に在る事、然りで在る。

…『秀眞伝』の哥…ヤクモタツ イヅモタケルガ ハケルタチ ツヅラサワマキ アワレサナシ31文完全字定型詩

…此処では「タケル」(イヅモタケル)と言う語句が用いられているが、「ヤマトタケ」に言う「タケ」とは語意を異する事然りで在る。


…と記す。この上記の…「『秀眞伝』記載の【31文字・定型詩の歌】は、出雲(島根県)の【荒神谷遺跡】、及び、【加茂岩倉遺跡】で大量に発見された銅鐸、 銅剣、の謎解きの鍵(筆者・持説)で在る。此の事に関連する事を書いているのが、下記に記した表題(オニ・鬼)に関連する内用のブログです。



【オニ(鬼)】の語元に関連する『秀真伝』文書は【日本人の聖書】として書かれていた 2012-10-04 04:39:22
テーマ:隠されてきた歴史書
http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11370779895.html …(ドラッグして検索)…



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